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水門崩壊にby 石井 徳章 |
研究の発端となった水門の事故が1967年7月2日に発生しました。 京都府下を流れる由良川上流の和知ダム・テンタゲートが崩壊したのです。 当時の1967年7月3日付朝日新聞記事を下に掲載しています。 新造の水門を試験運転して微小開度から閉じようとした時に35トンの水門が突然崩壊し、 ブリッジからもぎ取られ、濁流にのまれて、120mも下流に流されました。 当時、アユ釣りをしていた二人が濁流にのみ込まれ、そのうちの一人が亡くなられました…。 この事故の当時、わたしはまだ大学の3年生でして、 植松時雄先生の水力学の講義の中でこの事故のことを知らされました・・・ 軽量化を計った新しい設計の水門が崩壊し、それが原因で死者も出て大変なことになっている・・・と。 まさか、4年後にわたしがこの水門崩壊の研究をやることになるとは・・・当時知る由もありませんでした。 ![]() その後、私も1968年から1970年にかけて安保闘争巻き込まれていくことになりました。 全共闘運動に端を発した大学紛争は実に酷いものでした・・・ 大学建屋の窓ガラスはすべて投石で叩き割られ、私たちは研究の場を守ろうとして 建屋の中からメチレンブルー入りの水を放水して闘ったものです。 大学の授業は閉鎖になり、いい機会だと思いアルバイトを始めました。 友達のお父さんが日立造船に勤めていましたから、その紹介で 桜島にある日立造船エンジニアリングに行くようになりました。 日立造船もスイスのズルザー社の舶用ディーゼルエンジンを製造していましたから、 スイスの図面を日本の規格に合ったように書き換える必要がありましたした・・・.。 単価が非常に良くて、A0サイズの図面を書き上げると、当時で3万円がもらえました・・・。 そこで知り合った課長さんが、和知ダム・テンタゲートを造った設計担当者の一人だったのですね・・・。 どうも今になって思えば・・・当時から水門の事故に引き寄せられつつあったようです・・・。 ・・・奇遇としか言いようがないような思いです…。 安保闘争も終わって、大学は元の静けさを取り戻し、 私も大学に帰って、大学院修士課程での冷凍機用圧縮機の研究に没頭していきました。 パナソニック(当時松下電産)との共同研究の始まり・・・ 私のライフワークの大きな一つの始まりでした…。 当時この研究に協力してくれましたのが 村居 正治 君 元)川重冷熱(株) 役員 福嶋 雅文 君 元)パナソニック(株) 部長 椋木 逸生 君 現)山本ビニター(株) 社長 等でした。 圧縮機関係の論文もたくさんありますあら、いずれ英語の本にしたいと思っています…。 1971年に博士課程に入って、さて何を博士論文テーマにしようか・・・ 圧縮機のような小さいもので学位を取るのはどうかな・・・ もっと大きなものを対象にした研究をやりたいな・・・と、漠然と考えていました。 そんなときに、指導教授の今市憲作先生に言われたことは、 分厚いドイツ語の境界層理論の本を渡されて、これを原書で勉強して、テーマを探せ・・・でした。 600頁の分厚いドイツ語本でして、それを訳するのになんと1年かかりました。 訳し終えて・・・なにをやったらいいのか・・・分かるはずもありませんでした・・・。 実験的な研究が膨大な数あること・・・、すべてが重箱の隅をほじくっているような感じであること・・・、 だけはわかりましたが・・・途方に暮れていました・・・。 そんなときに、水門崩壊の研究をやらないかとの誘いが指導教授からありました・・・。 ・・・君に計算させたんだが・・・かれは振動はしないと結論を出したんだ・・・が、俺は納得いかないんだ・・・と。 そこが学者の直感と言いますか…今市憲作先生の偉いところでした・・・。 わたしも追いつめられた思いでいましたから、その示唆に飛びつきました…。 それが博士課程2年目の1972年でして・・・もう一つのライフワークの始まりでした…。 先ず実験をやってみようと思いましたが予算もつけてもらえそうにありませんでしたから・・・ そこらの廃材を集めて簡単な水槽を造りました・・・・。 その当時、協力してくれましたのが、 竹本 信司 君 元)宇部興産(株) 部長 でした。 放水流を変動させたら上流側の流れ場はどんな挙動をするのだろう・・・といった漠然とした考えで取り掛かったのですが… それが研究の思いもよらない進展のほんとうの始まりだったのです…。 放水流を変動させる周波数があるところで水面が共振状態のようになって大きな波は生じ、上流側に伝搬していくんですね…。 これが大きな水門を崩壊させる原因なんだな…と、当時は嬉々としてその様子を見つめ、その現象を理論的に解明したいと没頭していったものです。 しかし、結果は全く逆だったんですね…大きな波が生じるときは振動が全く起こらない・・・水門は強安定になる・・・。 考えてみればこれは当然の結果だったんです… 大きな波が生じるということは振動のエネルギーが波の形で上流側に運び去られるので、 水門に対しては大きな減衰効果をもたらし振動しにくくする・・・ということだったのです。 研究というのは面白いものですね…その背後にとんでもないことが隠されていたんですね… あまり大きな波が生じないときの方が減衰効果小さくて、そのために発散振動が生じやすいという非常に重要なことが・・・。 わたしは幸運だったんでしょうね・・・ 大切でないことに惹きつけられて理論解析を進め、その結果・・・思ってもいなかった大切なことに到達できましたから・・・。 研究の成果を博士論文としてまとめ、1975年3月に大阪大学から工学博士の学位が授与されました。 写真の転載不可 Copyright for Photos 2017 by Prof. Emeritus N. Ishii back |
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